くじゃく・ライオン

Posted on : 2006-08-30 | By : ゆふこ | In : 日記

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某テレビ局(らいよんチャン)ついでに思い出したのですが。。。
私が通っていた小学校は「朱雀第四小学校」という名前で、
「すざくだいよん」と読みます。
が、大人でも「すじゃく」「しゅじゃく」と誤読する人が多く、
どんな読み方をしても舌が絡まりそうなことに代わりはなく、
ましてや字を読めない幼児には、ハテナマークいっぱいの
名前でした。
***
もうすぐ小学校入学を控えたある日、保育園の先生が
「自分が行く学校の名前を言える人、手をあげて~」と
言いました。もちろん、子供たちは「はーい!」と元気良く
手をあげます。
その中で目一杯手を伸ばしていたコを指して先生は
「ゆふこちゃんは、どこの学校に行くのかな~?」と
尋ねました。ゆふこちゃんは、はっきりと「くじゃくっ、
らいおんっ、しょうがっこうですっ」と言い切りました。
先生は「それは楽しそうな学校やね~」とニッコリ笑って
くれましたが、ゆふこちゃんは同級生のざわめく反応を
見逃しませんでした。『。。。これは何か違うかもしれない』
ゆふこちゃんは「すざくだいよん」を「くじゃくライオン」と
勘違いしていたわけですが、それにはちゃんと理由がありました。
保育園バスから見える小学校の屋上には柵が見えて、きっと
あそこにはたくさんの動物が飼われているのだろうと確信して
いたのです。ライオンは危険だから、あのように高い場所に
飼われていると思えば納得がいく話です。
が、もう一度、学校名を大人に確認してみても、やはり曖昧な
発音ゆえ「くじゃくライオン」にしか聞こえません。
仕方が無いので、小学校に入学すると早速、自分の目で確認
するべく屋上へ向かいました。
もちろん、屋上への扉は固く閉まっていましたが、ライオンの
気配は感じられず、校庭で優雅に羽を広げていると信じていた
孔雀も見つからず、絶望の中、一人で校庭の片隅にある小屋の
ウサギとウズラを見つめていたのでした。
(この、ライオン→ウサギ、クジャク→ウズラの落差を
子どもの気持ちになって想像してくださいよ)
そして『くじゃくライオン』を自信たっぷりに連呼していた自分を
回想し、周囲があざ笑う光景を勝手に想像して恥ずかしくなり、
「あの時、ちゃんと訂正してくれたらよかったのに」と保育園の
先生を恨みました。
6歳児でも、これくらいのプライドは持っているので、子どもが
何か間違ったことを言ったら、ちゃんと訂正してあげましょう。
。。。というお話でした。

生の歌声

Posted on : 2006-08-28 | By : ゆふこ | In : 日記

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先日、某テレビ局が企画した「夏川りみ一曲だけのコンサート」
へ行ってきました。
「胎教に良いらしい」ということで、観客に妊婦さん30名を
募集していたので、「夏川りみの歌なら聴きたい!」と思って
応募葉書を送ったら当選しました。
私はテレビ放送に余り映っていなかったようですが、生の歌声を
聴けただけで十分に幸せな一時でした。
夏川りみさんは、CDよりも生のほうが上手いというポップス歌手
(なのか?)には珍しいタイプの歌い手さんでした。
「質はCDと変わらないけど、歌い方はその時によって変わる」
ってあたりが、一流の楽器弾きかオペラ歌手みたいな感じで。
歌い始められた時には身体がゾクっとして「この人は歌うために
生まれてきたんだな」と思いました。楽器よりも人間の声のほうが
ダイレクトに身体に響くものなのかもしれませんね。
細かいことは抜きにして、普通に聴いても心地よい歌声なので、
胎教にはモチロン良かったんじゃないかと思います。
あれ以来、お腹を蹴飛ばしまくられている時に、夏川りみのCDを
かけると、少し大人しくなるのは。。。気のせい?
産まれた後にも、試してみることにしましょう。
そうそう、ブログでは書いていませんでしたが、あと1ヶ月足らずで
出産予定です。赤子グッズも着々と仕上がっていっています。
小さいので服くらいラクラク縫えるだろうと思っていたら、縫い目が
直接肌に当たらないように工夫しないといけないので意外と面倒でした。
既に3000gを超えているビッグな人らしいですが、無事に産まれて
くるのを祈る毎日です。

吉村昭氏 死去

Posted on : 2006-08-25 | By : ゆふこ | In : 日記

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今朝のニュースで、作家・吉村昭氏が亡くなられたことを知りました。
歴史小説が好きな私にとって、ショックなニュースでした。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060825i301.htm
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060822/mng_____thatu___000.shtml
吉村さんの小説は、徹底した調査と現地取材を元に、妙な肩入れ無しに
人物が描かれているという点で好感が持てました。
作家本人の主観に偏ったセンチメンタルな歴史小説が嫌いな私にとって、
時には、残酷なほどに主人公を客観描写する氏の姿勢は大変に潔く、例え
私感が入っていようとも(私感が入らない歴史小説なんて無いんですが)、
本の中の出来事が、現実に起こっているような気にさせられるのでした。
そんな吉村さんの小説に出会ったのはずいぶん前で、主に図書館のお世話に
なっていましたが、再会したのは転勤で東京に移り住んだ時のことです。
旅に出る前には「その土地を描いた(または出身者の)作品を読む」ことを
心がけている私は、東京に引っ越す荷物を整理しながら「はて、東京なら
誰の本を読むべきか?」と考えました。
「日暮里に住むから、、、吉村昭さんだな。あとご近所は、森鴎外か。
夏目漱石は、ちょっと遠いからパス」と、早速、本屋へ行きました。
その時買ったのは「街のはなし」というエッセイで「日暮里出身の氏が
書いたのだから、自分がこれから住む土地のことが、多少わかるかも」
と思って手に取りました。(森鴎外の本は、ご想像にお任せします)
その後、長崎へ旅行した時に読んだのは「ほぉん・しいほるとの娘」
でした。
偉大なシーボルト像から女性にだらし無い姿までキッチリ描かれていて、
立派な歴史上の人物が、見事に「生身の人間」へと巻き戻されて
いました。
シーボルトの娘が、日本の医学に大きな功績を残した人だと
いうことも、小説を読んで初めて知りました。
そんな歴史の陰に隠れている人の足跡を丁寧に掘り起こす作業が
あるからこそなのでしょう、読んでいると長崎の街の細かい情景と
空気が自然と私の中に広がり、実際に長崎を訪れても、それは全く
裏切られませんでした。
氏の小説は、残酷な事実からも目をそらさないがゆえに、ページを
開くのに勇気が必要なものもあるのですが、また新しい本を
読んでいきたいと思いました。
***
吉村さんの「死に様」にも考えさせられるニュースでした。
「私ならどうする?」と思ったけれど、答えは未だ見つかりません。
吉村氏のご冥福を心からお祈りします。

再会

Posted on : 2006-08-24 | By : ゆふこ | In : 日記

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先日、京都の実家に1週間ほど滞在していた時のこと。
友人から「ラルフからメールが来てました。今週末
京都にいるらしいです。」との連絡を受けました。
ラルフとは、一言で表現するなら「ドイツに住むお兄さん」。
彼は10年ほど前に、とある企業で働きながら私が所属していた
アマチュアオーケストラで一緒にチェロを弾いていました。
彼が日本にいたのは、たった一年間でしたが色んな悩みを話したり、
正直に思うことをぶつけたりしていた、普通に『友人』と呼べる
初めての異国出身の友人です。
(まぁ、東京も異国と変わらなかったですが)
たぶん5年ぶりくらいでしょうか、久しぶりに会ったラルフは
少しお腹が出て、髪が涼しげに。。。いやいや、まぁ年月が経った
ということで。
その日は暑さにもメゲず、南禅寺に行ったり、河原町をブラブラして
一緒に奥さんと娘さんのお土産を探したりしていました。
京都滞在中は、中・高校のオーケストラ仲間にも会っていました。
すごく久しぶりの友人もいたけれど、時のブランクなんて全く感じず
ひたすらしゃべり続けていました。
友人と再会すると、不思議なことに、まるで昨日「バイバイ」と言って
手を振り、今日また「やぁ」と会ったかのような感覚で話せます。
友人って、そういうものなんでしょうね。

夏の花?

Posted on : 2006-08-16 | By : ゆふこ | In : 日記

2

写真をアップできないので、作品掲載を断念中。
苦戦するにも限界があるので、ここらで、よもやま話を
。。。って、いつもですか。
***
子どもの頃は、何処へ行くにも常に四人姉妹で出かけていました。
京都は、夏になると家の前に桔梗の鉢植えが置かれていることが
多く、私たちは「誰が一番たくさん桔梗の花を見つけられるか」
というゲームを毎日飽きることなく続けていました。
今考えると、毎日4人で歩いているのですから、競争も何も
あったモンじゃないんですが。
そんな遊びが自然発生した原因の一つは、私たち姉妹が全員
桔梗の花を好きだった、というのがありますが、何よりも
競争できるくらい道端で桔梗を見かけることが多かったのです。
今までに、大阪と東京で暮らした経験がありますが、そのどちらでも
桔梗の花を見かけることは殆どありませんでした。
理由はわかりませんが、京都の家には前庭が無いために、鉢植えを
道端に置く習慣があるからかもしれません。
その私にとっての「夏の花」が、実は和の世界では「秋の花」だと
知ったのは、つい最近のことです。
四季の花について調べていたら、秋の月と共に描かれている花が
桔梗でした。
「それならそれで早く涼しくなってよ」と願う今日この頃。。。
ちなみに東京では夏になると、朝顔の鉢植えをぶら下げて歩いている
人をよく見かけます。
不思議に思って「なんで種から育てへんの?」と友人に尋ねてみると
「江戸っ子は気が短くて、成長するのを待てないから。だから、
手っ取り早く花が咲いたのを買ってくるんだよ」とのことでした。
お江戸で摩訶不思議なことをを発見すると、大抵「気が短いから」
という返事で片づくことが多いですが、朝顔までとは。。。