メリークリスマス。。。でしたね

Posted on : 2006-12-26 | By : ゆふこ | In : 日記

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クリスマスカードをくれる友人たちへ贈るカードに、
今年はガラスで作った星をくっつけました。
世界中に星をばらまくというのは、大変に気分が
良いものです。
そして、星が届いた先々から「ありがとう」の言葉が
キラキラと届きました。
あぁヨカッタ。。。割れてなくて。(現実)
友人がブログに写真を載せてくれたので転載します。
(ゴメンね、ぶーやん。リンクなんて技を持ってなくて)
そのうち正式にHPを作ったら(急がなきゃ、今年中よ!)、
カードにくっつけた状態の写真も掲載するつもりです。
http://blog.livedoor.jp/shabaku/archives/50881381.html
実は、クリスマスイブは私の誕生日です。
日ごろ、人に何かを贈ることばかり考えていると、
自分がもらえるなんて、すっかり忘れてしまっていて、
プレゼントを受け取ると少し戸惑ってしまいました。
ステキな言葉や品物をくださったかたがた、アリガトウ。
今年もあと少し、年始の目標を達成すべく頑張るぞ~!
(あと何日よ。。。)

写生の途中で

Posted on : 2006-12-25 | By : ゆふこ | In : 日記

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ポカポカ陽気の先週末、息子を毛布でミノムシ状態にして
ベビーカーに乗せ、自宅アパートの前の楠をスケッチして
いました。
息子さんは、太陽の光に目を細めながらも、空を見上げて
ニコニコ笑っていました。
そんな風にのんびりと絵を描いていると、腰の曲がった
かなり年配の女性が足を止め「写生してるんか?」と
声をかけてこられました。
どうやら昔は「赤子は6ヶ月を過ぎるまで外に出しては
いけない」という説があったようで(今は1ヶ月から
外出OK)、ベビーカーで何処でも行ってしまう私は、
お年寄りからお小言を言われることが多いです。
その上、スケッチしているから怒られること確実、と
身構えつつ「は、はい。。。」と返事すると、突然
張りのある声で「アンタはエライっ」と言われました。
「そうや。子育てしながらでも、頑張ったらやりたいこと
できるんや」と言って、「え~顔してる。可愛いなぁ」と
息子の顔を撫でて去っていかれました。
あのかたが子育てしていた昔は、どんなだったのでしょう?
洗濯は全自動じゃなく洗濯板?
ガスコンロじゃなくて七輪?
子育てに追われて何もできなかったのか、それとも、
頑張って自分のやりたいこともやろうとしたのか。
わざわざ足を止めて励ましてくれたおばあちゃんの
後ろ姿を見つめながら、どんな生活だったんだろうねぇ
と、息子に話しかけてみました。
楠の葉影さえ映すキラキラした目は、何か別のことを
考えているらしく、返事はありませんでした。(当然か)

十字屋

Posted on : 2006-12-21 | By : ゆふこ | In : 日記

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京都には、十字屋という楽器屋さんがあります。
この前、久しぶりに行ってみると、ずいぶん店構えは
変わっていましたが同じ場所にあるので、なんだか
懐かしい気分になりました。
京都で楽譜を買おうとすると、たぶん、十字屋に
行くしか手段が無く、学生の頃はずいぶんお世話に
なりました。
大学生にもなると「あのスコアが欲しい」なんて
ちゃんと目的を持って行きましたが、中学生の頃は
もっぱら音楽探検に行っていました。
丁度12月の今ごろ、階段を上った楽譜売り場で、レジに
いた店員さんに「あの、楽譜を探しているんですけど。。。」
と訊ねたものの、題名がわからなくて「えーと、♪らららら
らららら」と歌ってみました。
セーラー服の女の子が突然歌いだすのに驚きもせず、
店員さんは真面目な顔で全部聞き終ってから「それは
バッハの『主よ人の望みの喜びよ』ですね。ピアノの
楽譜だったらピースで買えますよ」と教えてくれました。
その楽譜は、後にチェロ四重奏に編曲したり、ピアノで
弾いたりと大活躍でした。
とても好きな曲の一つです。

オチ

Posted on : 2006-12-20 | By : ゆふこ | In : 日記

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そう言えば。。。
「この前の絵の話のオチは?」という突っ込みを
いただきましたが、残念ながら私の話にオチなんて
ものはございません。
私のことをよーく知ってるかたには周知の事実ですが
「ゆふこの話は起承転転転転。。。で、結がない」と
昔から言われておりました。
「じゃあ、ルーアンの聖堂の話でも書こうか」とも
思いましたが、ゴッホやセザンヌほど思い入れが
あるわけでもなく、単なる知識の披露で終ってしまうので
やめました。
私は、大阪人じゃないので、オチがなくても良いのです。
おほ。

ガラスの気持ち

Posted on : 2006-12-20 | By : ゆふこ | In : 日記

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先日、家族でブラブラと歩いていた時、好きな雑貨屋さんを
通りかかったので立ち寄ってみました。
お店には、色とりどりの小物が置いてあって「クリスマスに
ステンドグラスのプレゼントはいかがですか?」と書いて
ありました。
でも、そこに置いてあったのは、無色透明ガラスの後ろから
染料を吹きつけて色ガラスのように見せかけた「ニセモノ」
でした。
本物のステンドグラスは、もっと美しいものなのに、
こんなメジャーな雑貨屋さんで「これがステンド
グラスです」と売られてしまうと、皆、勘違いして
しまうじゃ~ないですか。と、悲しくなりました。
それと同時に「自分がガラスだったら嫌だな」とも。
ガラスは、私にとって宝石と同じです。
透明の宝石に色を塗りつけたら変なように、透明な
ガラスに色を塗るのは変なことです。
ガラスの気持ちになると「そんな品の無いお化粧を
させるのはやめて欲しいなぁ」と思ったのでした。

ゴッホの部屋

Posted on : 2006-12-08 | By : ゆふこ | In : 日記

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セザンヌの横には、ゴッホの絵が描けてありました。
どんな意図で、このような配置になったのか、学芸員の
かたに訊いてみたいものです。
***
確か高校生くらいの時に、家に置いてあった御菓子の缶に
この絵が印刷されていました。
誰の絵かも知らず「こんな可愛い部屋い~なぁ」と思った
ものですが、実際は普通の部屋の普通の椅子やベッドを
ゴッホが描くと、そんな風になった、と、これまた
ずいぶん後に知りました。
ゴッホは日本に憧れ、より日本に近い場所に行きたいと
願って、温暖なアルルに移り住みました。
(日本とアルルじゃ~全然似てないと思うけれど、
そこが芸術家特有の思い込みというやつで。。。)
アルルに芸術家村を作りたいというゴッホの呼びかけに
答えてくれたのは、画家ゴーギャンただ一人でした。
最近の研究では、彼らが1枚の長い布を上下に切って
2人で分け合い、カンバスへ貼っていたことがわかって
きました。結構仲良くしてたんですね。
ゴーギャンは画面のバランスを考え、エキゾチックな
モチーフ、色合いを使って「売れる絵」を描きました。
それとは反対にゴッホの絵は生前1枚も売れず、それでも
全く意に介さず、自分の好きな絵を描き続け、お金が
無くなると、弟に絵の具を買ってもらっていました。
私は、人が好む完成度の高い絵を描こうとしたゴーギャンが
ずるいとは思いません。(売れないと食べられないもの)
ただ、ゴッホは、自分の好きなように描きたかっただけで、
そんな夢見がちなゴッホに、ゴーギャンは苛々したのでは
ないでしょうか。
ゴーギャンは、ゴッホに愛想をつかし、アルルでの共同生活は
破綻してしまいます。
その後、ゴッホが自らが描いた麦畑で、自らの命を絶つまでの
短い間に、代表作のほとんどを精力的に(想像を絶する早さで)
制作しました。
「アルルの部屋」は、そんなゴッホが夢を描いていた時代、
彼の理想が始まる場所である自分の部屋を、大好きな黄色を
たくさん使って描いた絵です。
彼は、最後まで自分のために絵を描き続けた最初の画家でした。

セザンヌのリンゴ

Posted on : 2006-12-07 | By : ゆふこ | In : 日記

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本当はリンゴとオレンジの静物画ですが、私はリンゴしか
覚えていません。
華やかで強烈な他の印象派の画家たちに埋もれるように、
私の中でセザンヌは、それほど大きな存在では有りません
でした。
ただ、私はリンゴが好きで、「ほら本物ソックリでしょ?」と
訴えかけるように描かれたリアルな絵よりも、セザンヌの
リンゴのほうが美味しそうに見えました。
そんなわけで、私にとっては何の変哲もないように見えた絵が、
20世紀絵画に多大な影響を与え、キュビズムへの扉を開いたと
言われるくらい革命的なものだと知ったのは、ずいぶん後の
ことです。
かのピカソは「セザンヌだけを尊敬する」と言ったとか。
確かにセザンヌの技法を知れば、ピカソへの道が見えてきます。
セザンヌは、対象を見たまま表すのではなく、様々な角度から
見た個々を一つの画面に同居させ、物質の本質をとらえようと
するそれまでにない全く新しい手法を産みだしました。
先駆者にありがちな「孤独」を友人としたセザンヌには、
中学生の時、画家になった後も親友であり続けた小説家ゾラとの
運命的な出会いがありました。
彼とは後に決別したという話もありますが、私は、セザンヌが
中学生の時に嫌なことがあった翌日、リンゴを手渡して励ました
というゾラとの逸話を信じたいです。
「20世紀絵画の父」云々はともかく、そうでもないと、
セザンヌのリンゴが、あんなにも印象深い理由が私には
見つからないからです。
そのセザンヌが後半生に好んで(というより取り憑かれたように)
描いたモチーフが、故郷の山、サント=ヴィクトワールでした。
ところが「リンゴとオレンジ」のリンゴしか覚えていない私が、
山の絵を覚えているわけがありません。
じわじわとセザンヌの魅力にひかれていった私は、何十枚と
描かれたサント=ヴィクトワール山の絵を、1枚でもいいから
見てみたい、と願うようになりました。
その絵が、唐突に視界の中に飛び込んできました。
何の絵が来ているのかも知らずに訪れた美術展だったので
「まさか」と思い、そして「もしかして」という期待に変わり、
恐る恐る近づいた絵には、
 ー ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」 ー
と確かに書かれていました。
目の前に広がる色彩は暖かく、故郷への愛に満ちあふれたもの
でした。
私は、ようやくセザンヌに会えた気がしました。

その前に。。。

Posted on : 2006-12-07 | By : ゆふこ | In : 日記

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今から書くセザンヌとゴッホについての文章は、
文献や何かを参考にしたわけではなく、私が過去に
見聞きした記憶のカケラをかき集めたものです。
なので、自然と誰かの真似をして書いているかもしれませんし、
ちょっと記憶違いのことがあるかもしれません。
そのあたりを寛大な心で見逃しながら読んでくださいませ。

2枚の絵

Posted on : 2006-12-05 | By : ゆふこ | In : 日記

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神戸市立博物館で開催されているオルセー美術館展に
行ってきました。
正確には「神戸をブラブラするついでに、入れそうなら」
と出かけたら意外とすんなり入れた、です。
子連れで音楽会は諦めていましたが、展覧会は、なんとか
行けそうな感じでした。
入場した時「少し混んでいますので、抱っこしていただければ
ベビーカーを預かりますよ」と言われましたが、子どもが
寝ることは火を見るよりも明か、ということで、
ベビーカーのまま人ごみを避けて遠くから絵を眺めることに。
絵というのは、画法を研究するためでもない限り、ほとんどが
遠くから見ることを前提に描かれていると思うので、それで
十分な気もします。
気になる絵は、近くで凝視したり、遠くから眺めたりしますが。
とは言え、もしも車椅子なら「だっこして」というわけには
いかないので、月に一度くらい、車椅子やベビーカー優先に
2時間だけでも開放していただければありがたいですが、
そんな企画は無いものでしょうか。
話は戻って。
そこで、私にとって特別な2枚の絵が並んでいました。
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ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」
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20歳でオルセー美術館に行った時、前者は記憶になく、
後者は目にしっかりと焼き付けた絵です。
この2枚の絵を見られただけでも、私にとっては価値ある
美術展でした。
詳細は、後ほど。。。