日記

私が影響を受けた芸術家(2)岡本太郎

たぶん私が小学生の低学年の頃だったと思います。京都からほとんど出たことが無い両親が娘達を車に乗せて大阪のエキスポランドへ連れて行ってくれました。

「ほら、太陽の塔が見えてきた」と言われて窓から外を覗くと、地面からニョキっと突き出た遠目にも巨大だとわかる不思議な像が立っていました。碁盤の目の京都を毎日運転している父は、曲がりくねった大阪の道に面食らい、地図の読めない母は何の頼りにもならず、車はグルグルと太陽の塔を遠巻きに走り続け、おかげで私はずいぶんと長い間、太陽の塔との時間に浸ることが出来ました。

私がその後、その塔の作者を見たのはテレビコマーシャルで、「芸術は爆発だ!」と叫ぶおじさんがその人でした。当時、岡本太郎は芸術家として認められてはいましたが、作品そのものよりは本人のキャラクターが買われてテレビ等に露出されていたと思います。

現在の岡本太郎の扱いはずいぶんと変化して立派な芸術家として世間一般からも認められています。そう振り返ると「変な人」が「芸術家」へ昇華していく様を私がリアルタイムで目撃できた唯一の人物だと思います。もちろん岡本太郎は最初から岡本太郎でしたが。

「現代美術」というものが私にはよくわかりません。が、今まで見てきた感想を言うと、快・不快に関係なく人間の根源に直接揺さぶりをかけるようなモノではないかと思います。それだけに直感的に物事をとらえることが出来たはずの幼い頃に親しんでいたら、と残念に思います。娘を度々美術館へ連れて行ってくれた父は印象派が好きなようで、近代芸術には全く興味が無く、私が近代美術を知ったのは学校の教科書が初めてで、自分から美術館へ行ったのは20歳を過ぎてからのことでした。これは遅すぎたと思います。

私が岡本太郎の作品に魅かれ続けるのは、幼い頃に偶然に見た太陽の塔が心に刻まれたからではないかと思うと、純粋な感覚を持っている間に自分の子どもには現代美術に触れる機会を持たせてやりたいと思います。そのためには「本物」でないと意味が無いけれど、頼りないことに自分ではよくわからないので、そのあたりは専門家の評価にお任せします。美術に限らず何でも「雑食」なら少々の当たり外れは問題にならないでしょうから。

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