私が影響を受けた芸術家(3)安野光雅
子どもの頃、私は自分の画力に自信を持っていました。「自信」と言っても学校から賞状をもらうとか大人たちが褒めてくれるとか、そんな程度のありがちな「子どもの自信」ですが、とにかく絵を描くことなら誰にも負けないと思い込んでいました。
ある日、小さな従兄弟が「この絵を描いて」と機関車の写真を持ってきました。それを見た鉄道マニアの従兄弟が「僕も一緒に描くから、どっちが上手いか決めてもらおう」と言い出しました。私は張りきって描き、出来上がった従兄弟の絵を見ても自分のほうが数段上手いと思っていました。(子どもの根拠なき自信は果てしない)
ところが、年下の従兄弟の「お兄ちゃんの方が上手」という言葉に私は打ちのめされました。どう見ても私のほうが正しいデッサンで遠近感もあり、影までつけてあるのに、「何がいけないのだ?」と混乱しました。
残念なことに小学生だった私の疑問に答えをくれる人は、その後何年も現れず、自分自身で答えを見つけることも出来ませんでした。と言うより、見つけようともしませんでした。
答えをくれたのは安野光雅さんでした。1995年に放送されたNHK趣味百科の「風景画を描く」、それから更に絵とは何かを掘り下げた2004年のNHK人間口座「絵とイマジネーション」で、安野さんは最も重要であり私に最も足りなかったものを明確に示されました。
たくさん得た知識の中で、私が一番影響を受けたことを一言で表すと「よく見ること。そして、大切なものが何かを考えてそれを抜き出し、余計なものは省くこと」です。
私が描く絵には不要な線が多すぎたのです。安野さんのお話で初めて気付いたことは、描く対象の本質を見極めることが絵を描く時に一番大事な作業だということでした。
この経験は、後にステンドグラスのデザインを考える時に大きな助けになりました。私のステンドグラスの元になっているデザイン画は、安野さんの手法にのっとって描いたものばかりです。
2件のコメント
pooh
初書き込みです。
たぶんニックネームで誰だか分かって頂けるのではないかとおもうのですが。
私も安野光雅さん大好きで絵本、たくさん持っています。NHKの両方の番組もみてました。私の場合、取り立てて芸術分野に得意とするものがないので、安野さんの絵はこんな風にしてできあがっているのかーというところまでですが・・・。
話は安野さんと何の関係もないのですが、先日とある食品メーカーの通販カタログの特集で、小川三知という人のステンドグラス作品が紹介されていて、明治時代にはこんなに日本の生活の中にとけこんだステンドグラスがあったんだーとかなり衝撃を受けました。
現在私は横浜に勤務している関係で、お昼休み等にぶらぶら近くにある古い建物(県庁舎とか山手あたりのお家とか)をみて回ったりしていますが、ああいう建物の中には普通の階段の手すりに装飾があったり、ちょこっとしたところにステンドグラスがはめ込まれていたりと、そんなのをみていると戦後の日本の建物はなんだか実用本意でいまいちさみしいなぁとおもいます。気持ちに余裕がないんですかね、やっぱり。
ゆふこ
私の周囲で「ぷー」というハンドルネームの人が3人いるのですが、たぶん「チェロ弾き」で「後輩」のぷーさんでしょうか。コメントありがとうです。
安野さんは人間的にも温かくて素晴らしい人だと思います。あれだけ手のうちをあかしながらも、自分の考えを丸投げするのではなく、聞き手に自分で考える余地を与えるという愛情に溢れた方法で解説していらっしゃいます。
でも、ぷーさんのように純粋に絵を見たりできなくなったのが残念です。安野さんのテキストを見ても「あぁ奇麗」より「何かためになることはないかな?」と必死になってしまう。音楽を聴いてもチェロの音を耳が拾ってしまうし、映像を見ようものならフィンガリングを目で追ってしまう。それと同じくステンドグラスを見ても「端っこの処理はどうしているのかな?」とかヨコシマなことを考えてしまいます。
芸術分野において第二次世界大戦で日本が失ったものはあまりに大きすぎたと思います。物質的に失ったものもあるけれど、日本人の考え方を良くも悪くも変えてしまった。それを考えると京都は恵まれているのかもしれませんね。