草間彌生 永遠の永遠の永遠
草間彌生さんに関しては「水玉だらけのおばさん」というイメージしか無かったので、果たしてそれは真実なのかを確認しに大阪まで行ってきました。
美術館に足を踏み入れると、作品から放たれるむせ返るような「気」の渦に思わず「これは、スペインのダリ美術館以来の圧迫感だなぁ」と相方さんにつぶやきました。
水玉の真実ですが、最近のシリーズである「愛はとこしえ」から「わが永遠の魂」に渡る大量の作品を見るに「水玉」は作品群の一部に過ぎなかったというのが私の感想です。会場でドキュメンタリー映像を観たところ、モチーフを縁取っているかに見えた線は、実は最初に外側の色をべったりと塗り、それより少し内側に違う色を重ねているので外側の色が縁取りのように見えるだけだということがわかりました。そういう無駄なことをする人は芸術家以外にいませんが、そんな手法を取りながら、あれだけのクオリティで1年半に100枚の絵を描き続けたなんて正に狂気の沙汰です。絵をかく草間さんの顔がスクリーンに映し出されると、5才の息子は「怖い」と言っていました。
写真は、水玉の世界を彷徨う5才の息子です。
今回は子どもの反応も楽しみにしていたのですが、1才の娘は眠そうにしていました。反対に3才の娘は生き生きとして、絵を指差して色々と話している様子でした。3才の娘は生後3日目には「この子は感覚が鋭い」と思い、今でもそれは変わりません。以前、印象派の絵を見に行ったら眠そうにしていましたが、新人類の彼女には前衛芸術のほうがピンときたのでしょうか。
むせ返るような狂気とは真逆に聞こえるかもしれませんが、私は彼女の絵の中から少女のような健気でひたむきな姿を感じました。とても絵が真面目なのです。加えてバランスが良いです。水玉を配置するバランス感覚の素晴らしさに関して言えば絵本「あおくんときいろちゃん」を描いたレオ・レオニと双璧だと思います。
「ピカソを越えたい」と話していらっしゃいましたが、彼女はピカソよりも切実に絵や芸術といった分野でしか生きられなかったという切ないまでのメッセージを感じます。そういう意味では、前衛芸術は決して奇をてらったものものではなく自然(必然?)に生まれた芸術と言えるのではないでしょうか。