セザンヌのリンゴ
本当はリンゴとオレンジの静物画ですが、私はリンゴしか
覚えていません。
華やかで強烈な他の印象派の画家たちに埋もれるように、
私の中でセザンヌは、それほど大きな存在では有りません
でした。
ただ、私はリンゴが好きで、「ほら本物ソックリでしょ?」と
訴えかけるように描かれたリアルな絵よりも、セザンヌの
リンゴのほうが美味しそうに見えました。
そんなわけで、私にとっては何の変哲もないように見えた絵が、
20世紀絵画に多大な影響を与え、キュビズムへの扉を開いたと
言われるくらい革命的なものだと知ったのは、ずいぶん後の
ことです。
かのピカソは「セザンヌだけを尊敬する」と言ったとか。
確かにセザンヌの技法を知れば、ピカソへの道が見えてきます。
セザンヌは、対象を見たまま表すのではなく、様々な角度から
見た個々を一つの画面に同居させ、物質の本質をとらえようと
するそれまでにない全く新しい手法を産みだしました。
先駆者にありがちな「孤独」を友人としたセザンヌには、
中学生の時、画家になった後も親友であり続けた小説家ゾラとの
運命的な出会いがありました。
彼とは後に決別したという話もありますが、私は、セザンヌが
中学生の時に嫌なことがあった翌日、リンゴを手渡して励ました
というゾラとの逸話を信じたいです。
「20世紀絵画の父」云々はともかく、そうでもないと、
セザンヌのリンゴが、あんなにも印象深い理由が私には
見つからないからです。
そのセザンヌが後半生に好んで(というより取り憑かれたように)
描いたモチーフが、故郷の山、サント=ヴィクトワールでした。
ところが「リンゴとオレンジ」のリンゴしか覚えていない私が、
山の絵を覚えているわけがありません。
じわじわとセザンヌの魅力にひかれていった私は、何十枚と
描かれたサント=ヴィクトワール山の絵を、1枚でもいいから
見てみたい、と願うようになりました。
その絵が、唐突に視界の中に飛び込んできました。
何の絵が来ているのかも知らずに訪れた美術展だったので
「まさか」と思い、そして「もしかして」という期待に変わり、
恐る恐る近づいた絵には、
ー ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」 ー
と確かに書かれていました。
目の前に広がる色彩は暖かく、故郷への愛に満ちあふれたもの
でした。
私は、ようやくセザンヌに会えた気がしました。