胸に響く三分スピーチ
高校三年生の1月、私の中で唯一恩師と呼べる先生が、古典の時間を使って生徒全員に三分間のスピーチをするように指導されました。その内容を先生が記録された文集を最近になって見つけましたが、自分ではスピーチしたことも先生が記録を取られていたことも覚えていたはずなのに、忘れていた内容のほうが多くて驚きました。
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音楽をずっとやっていたが、これはしない。ずっと絵を描いていきたい。描きたいものは、いっぱいある。光っているものは、なんで光っているように見えるのか。月はなんで、あんなものに見えるのか。樹の上の雪は、なんであんな風に積もるのかと。不思議なものを感じませんか。
日本ばかりでなく外国をいっぱい見たくなって、そのためには英語をちょっとくらい話せて、外国の人の考え方を知りたいと英文学に進んだ。それは絵を描きたいから。思っていることをいっぱい絵にして、友達にプレゼントしていきたい。
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思い返せば、10代から30代前半まで持てるエネルギーのほぼ全てを注ぎ込んで弾いたチェロのことを「これはしない」と、18歳の私は言い切っています。出産を機に「ステンドグラスと子育てと音楽の3つのうちの2つしか無理だ」と音楽を後回しにした未来の姿を予見しているかのようです。
私は、常々「自分は気がつくのが遅い」と思っています。だからステンドグラスにたどり着くまでに時間がかかったのは仕方が無いけれど、同門の先輩を見ては「あぁ、これくらい若い時からステンドグラスを勉強していれば」と羨ましく思うことも多々あります。大学で英語を勉強して、何かを探すように外国を旅してまわり、卒業後は会社員として働き、その間に貿易という仕事を通して海外の人たちと関わることができたけれど、ずいぶんと遠回りをしたもんだと思っていましたが、それすらも「絵を描くためだ」と、その後の私の悩みを見透かしたかのようなスピーチです。
月や樹は、その頃もじっと見つめていたのでしょう。現在の私が好んで使うモチーフが同じなのも面白いですが、「光っているものは」という出だしを聴けば、今なら「ステンドグラスにすればいい」と答えは簡単です。
つまり、私は「思っていることをいっぱい絵にして、友達にプレゼントしていきたい」という方法を長い間探してきて、それがステンドグラスだったんだ、と18歳の私からもらった『手紙』を読んで、ようやく気がつきました。「今まで遠回りばかりしてきたけれど、それも絵を描くためには必要だったんだよ」と教えてくれる18歳の私は、今よりずっとお利口さんだったようです。
スピーチが終わった後に、先生から「良い話をしましたね」と褒められた記憶があるのですが、今になって思えば京都でも指折りの進学校で「絵を描きたい」なんて言う生徒を褒めてくださる先生の懐の深さと、受験と将来に揺れる時期に敢えてそのような自分を見つめる機会と丁寧な記録を与えてくださった先生に感謝します。