ひとりごと
息子が保育園を卒園した。(注:ひとりごとなので丁寧語ではありません)
記録を読み返すと、彼は1歳9ヶ月の時に保育園の玄関で「ヨイヨイ」と宣言したとある。
「ヨイヨイ」の意味を解説すると「ヨイヨイ=歩く」という赤ちゃん用語で(たぶん方言)、彼は私を見上げ、ベビーカーを指差して首を横に振ってから、靴を高々と持ち上げて、つまり彼は「自分で歩きます」と宣言したのだ。
これ以降、彼がバギーに乗ることは、冗談半分でもない限り無かった。彼は拘束よりも歩く自由を選んだ。そして、ここから私の母としての戦いが始まる。
自由を得た息子は、片道1km以上、大人でも15分かかる道のりを2時間かけて歩いた。彼の好奇心はとどまる事を知らず、山があれば登り、川があれば下り、穴があれば手を突っ込んだ。(今は成長したので『注意して』手を突っ込むようになった)
興味あるもの全てを触り、匂いをかいで、色んなことを確かめながら歩いた。
車にも興味があるので、トラックが通りかかると喜んで駆け寄った。息子は道路上の危険を知るにはまだ幼過ぎた。私がいつも息子の名前を叫んでいるので、通園路に住むお年寄りは、みんな息子の名前を知っていた。
雨だれを見つめ、風に立ち止まっていろんな音や声を聞き、花やパン屋の匂いをかぎ、虫を追いかけ、花と向かい合って座る。時間はどれだけあっても足りない。ムカデの横でしゃがんで30分経ったこともある。私は仕方が無いのでムカデの足を数えた。本当にきりが無かった。
当時、私はお腹の中に二人目の子どもがいたので、自転車に乗れなかった。息子は年齢のわりに大きな身体で、興味の向くほうに身体を動かすと自転車が大きく振れて転倒しそうになったので乗るのを止めた。抱っこしようにも重過ぎて無理だった。
帰宅すると、今度は「お腹が減った」と泣いて足にしがみつく息子を見て、私はほとほと疲れた。
「大人の言うことを聴いてもらうためには」といった類の本を読んで実際に試してみたが、彼には無効だった。大人の知恵よりも彼の好奇心が勝利したのだ。何よりもまだ言葉がちゃんと通じない年齢だった。
雨が降りそうなある日、堪忍袋の尾が切れた私は怒って息子のお尻を叩いた。その後、息子は絵本で雨の場面が出てくると「え〜ん、え〜ん」と泣きまねをして私を見上げた。「雨が降った日、僕は泣いたね」と無邪気に表現する息子に、責められてもいないのに私は自己嫌悪に陥った。
風を感じることも、草や木を触って喜ぶことも悪いことでは無いのに、私は何を怒っていたのだろう? 帰宅してからご飯を作る時間が無いのなら、早く起きて作ればいい。保育園の登園時間に間に合わないのなら早く家を出ればいい。彼が保育園に行っている時間、私は好きなことをさせてもらっているのだから、子どもといる時間は全て子どもに捧げよう。
そう決心した私は、朝早く起きることにした。彼と手をつないで毎日旅に出る、と考えることにした。彼は世界を観察するけれど、私は彼を観察する。観察対象としてはモンク無く面白い人物と思われた。
彼が地面を触っている間、彼の身体からは光の触手のようなものがたくさん出ていて、息子が全身で地球とつながっているのがわかった。しかし、この光の触手は三歳頃には消えたように思う。そして、その頃から興味の対象が地面という平面から、空へ宇宙へと立体的に広がっていく。
「好きなようにさせよう」と決心したものの「そのうち飽きるだろう」と少なからず期待していた。が、彼は母の期待を見事に裏切った。好奇心は形を変えて波のように繰り返しまたやって来る。果てしない旅は永遠に続くように思われた。
時々「もうお腹がすいたから帰ろう」と言いながら、「ここで壁にピッタンコしよう」と交通ルールを教えながら、旅は続いた。
が、その旅も、もう終わった。彼は4月から小学生になる。
5年間の旅が終わる頃、息子は妹に「お兄ちゃんが車のほうを歩くから手をつなごうね」と言えるくらいに成長した。人間は、たった5年で奇跡の進化を遂げる。恥ずかしがるので、もう親と手をつないでもくれない。
今までに彼と歩いた距離を計算してみた。雨や荷物の多い日は車を使うので、少なく見積もって1年の半分を歩いたとしたら、ざっくり計算して、2300kmを一緒に旅したことになる。JRに乗ったら何処まで行けるのだろう?と調べてみたら、京都から北海道の網走が2000kmだった。直線距離ならもっと遠くまで行けるだろう。
あの頃は果てしなく思えた毎日も、終わってみればたったの5年。最初の頃は途方にくれていたけれど、今になってみれば長い人生の中でほんの一瞬の時間を大切に過ごせたことを幸せに思う。
ここで感傷にふけりたいところだが、また新たな旅が始まる。下の娘たち二人が歩いて保育園に行けるようになったのだ。息子よりはスロースタートだったけど、あと何年かは「母の戦い」が続く。はぁぁぁ。(←喜びと苦しみのため息)
4件のコメント
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ゆふこ
あおのうまさま
いつも相方さんがお世話になっています。
作品展にも来てくださったそうで、ありがとうございます。
真面目に検算してみたら、もっと遠くまで行けそうだったので、網走に訂正してみましたが、そんな大きな問題では無いですね。
どうやらオホーツク海あたりまで突き抜けて行けそうです。
にしじ
長男君と3か月少し違いの息子を持つ私は、涙がこぼれました。
自分のことを振り返っているように感じたし・・・
遠く離れた地で、親友が同じような日常を送ってきたことにも胸がいっぱいになったし・・・
確かに赤ちゃんだった息子が、手がかからなくなってきて自分で歩み始めたことに少しさみしくもあり・・・
今この時(育児期間)のどの瞬間も忘れたくないと、“久しぶりに”思い直しました(^^ゞ (現実は、怒涛のその日暮らしだけどね。エヘヘ)
ゆふこ
にしじ、コメントありがと〜。
私は、にしじから子どもに送る視線の寛大さを教えてもらったよ。(対象は子どもだけじゃないけど)
私も書いてたら、涙が出てきた。でも、泣けたって言ってくれる人が多かったから、みんな、こうして子育てしてきたんだなぁ、って改めて思いました。