日記

生まれる力

以前「僕は自分の誕生日になると花束を買って、お母さんに
贈るんだ」と言ったアメリカ人青年がいました。
(日本人には無理やね)
「なんで?」と訊くと「だって、僕の誕生日に頑張ったのは
お母さんだもの。それに僕は自分が生まれた日のことを
覚えてないけれど、お母さんは覚えてるでしょ?毎年
『ありがとう』って産んでくれたお礼に花を贈るんだよ」
と、少し鼻高々に説明してくれました。
私は「なるほど」と感心し、それ以降、出来るだけ
出産祝いには「母&赤ちゃん用のもの」を2つ贈るように
しています。
(赤ちゃん用品は高いので、手作りじゃないと無理ですが)
***
ところが、この話はこの話でひとまず置いておいて、
自分が出産した時にわかったことには、どうやら
生まれてくる側も努力しているようです。
私は「前期破水」からお産が始まりました。
子宮の入り口を覆っている膜が破れ、それから24時間以内に
陣痛が始まってお産が進行するのですが、まず、胎児は
子宮口に自分の後頭部を押し当て、自らが栓となって
羊水が大量に流れ出るのを防ぎます。
私の息子は生まれてしばらくの間、後頭部に日の丸のごとき
赤くて丸いアザがありました。日の丸部分は、栓になって
いた名残で一段高く盛り上がっていましたが、今は何も
残っていません。
彼らが狭い産道を通る時には、母体はいよいよ苦しく
呼吸もままならないため、へその緒から入ってくる酸素は
どんどん減ってゆきます。(頑張ってるんだけどねぇ)
それでも胎児は骨をやわらかくずらして頭を細くし、両手を
胸の前にぎゅっと組んで回転しながら、自分の身体を
外界へと押し出してくるのです。
そもそも「いつ生まれるか」という判断というか、主導権は
胎児の側にあります。
お腹の中の子どもが「さて、いくか」となると、予定日より
早かろうが遅かろうが出てこられます。
母は、新しい命が力強く漕ぎだすのをひたすらサポートする
のみです。
この状況は、その後の子育てにも通じるものがあるように
思います。
「私が産んだ」という認識は、ともすれば「私がいないと」
という母性に転換される可能性をはらんでいます。
そうではなく、彼らが自分で命をつかみ取り、外へ出て
きたのならば、親は、彼らが成長しようとする力を
見守ることしか出来ない、というか見守ることしか
してはならないのではないか。そう思った時に、
息子は既に私の手を離れているように見えました。
これは、かなり寂しいことですが、仕方ありません。
子育ての最終目標は「私がいなくても彼が生きて
いけること」なのですから。
我が子がいくら可愛くとも手を出さずにじっと見守るのは、
忍耐が必要ですが、母性とのバランスを上手く取れれば、
私も少しは成長できるような気がします。

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